1969年若手の画家だったマエハラは東京でゴーギャンの展覧会を見て深い感銘を受けた。ゴーギャンの作品は独創的でエネルギーにあふれ、南国の情緒に満ちていた。それはマエハラが育った沖縄の島々を懐かしく思い出させてくれた。西洋絵画の、奔放でありながら調和の取れた表現方法に惹かれ、マエハラは1972年、ついに生まれ故郷を離れ、フランスへと向かった。
東京で3年間デッサンを学んだ実績を背負って、マエハラはパリにたどり着いた。
モンマルトルでひたすら肖像画を描いて生計を立て、1975年パリのボー・アールに入学する事が出来た。そこで偶然有名な彫刻家エティエン・マルタンと出会い、そのおかげで多くの作品や人々と親しむようになった。その頃から彼の構図は立体的なものになっていき、ダイナミックで新しい創作を生み出した。L.
ヴィレルモの仲立ちによって、なんとあのアトリエ17のヘイター(彼は1988年以降のエッチングの技法を決定づけた人物)に出会えたことが、マエハラをデッサンからリトグラフへと自然に導いたといえる。
長谷川彰一とは同じ宗派の仏教を実践する精神修養の団体に所属している。
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