マイケル・エリオット・ブライアンは、1947年イリノイ州シカゴに生まれ、そこで人生の前半期を過ごす。高校卒業後、シカゴにある南イリノイ大学、オールモンソン大学、メイフェア大学で学ぶと同時に、シカゴ美術研究所やミシガンにあるノースウッド研究所と言った専門機関にも通う。大学卒業後は、イリノイ州のエリジン大学院に進む。
1969年から71年まで、合衆国陸軍の特殊任務を受け、太平洋で軍務に服す。
美術に対する関心は、かなり早い時期に目覚めた。疑いもなく、芸術性に溢れた家族の影響を受けたものである。父親はアーティスト兼デザイナーであり、初期のスーパーマンの漫画や「エスカイヤー」のイラストを描いたり、ウォルト・ディズニーの仕事をしていた。母親はファッションイラストレーターで、兄は版画家である。この一族の芸術的な影響は、次なる世代つまりマイケルの娘が、プロのカメラマンになったことからもうかがえる。マイケルは、家族の感化、影響を受けた最も重要な点の一つが、的確なテーマを選択する能力を養えたことであると信じている。
マイケル・ブライアンは、過去10年間にウエストコーストで最も人気のある画家の一人となった。ブライアンの多様な表現様式は完全に独自のもので、自然と人間の関係の中で生まれるパワーとエネルギーを表現する。色彩を豊かに、空間を生き生きと、自由に操りながら、特異なアングルや頭上から見た視点の遠近法によって、それらがさらに強調され、アクションとかムーブメントといったものが特徴づけられる。
ブライアンは大きな影響を受けたものとして、トゥールーズ・ロートレックやドガの明確で力強い線、そしてジャクソン・ポラックの描く人物の自然な身振りをあげている。彼は印象派の筆使いと容器から絞りだされた絵具との組み合わせで表現することを好んだ。原色を用い、のびのびとしなやかに描かれた対象は、しばしば感覚に訴えるような幾重にも塗られたパステル部分と対をなす。アクションの強烈さを高めるために、凹凸感をつけて制作している。
著名な版元各社より発表された版画作品や、様々な機関より多くのポスターが出版されており、現在全米各地でブライアンの作品を見ることができる。さらにテレビドラマや映画、本、雑誌そしてレコードカバーなどに採用されている。彼の名声は、毎年頻繁に行われる展覧会によって証明されている。
サルバドール・ダリ美術館、ドクター・スコット美術館そしてケンタッキー・ダービー美術館よりの作品買い上げに加えて、1990年と91年のロサンゼルス・マラソンや1991年トヨタ・グランプリ、1991年ロングビーチ・ジャズフェスティバル、1991年アトランタ・ジャズフェスティバルといった大規模なイベントの公式アーティストに指名されている。
彼のテーマは、次の言葉に要約される。「私の作品の真髄は、完全にアメリカ的現象です。つまり自分の住む時代の明確な反映です。私の絵は、アクションとムーブメントが全てです。自分の経験したことを描いているだけです。」
[ 学歴 ]
オールモンソン大学 (イリノイ州シカゴ)
メイフェア大学 (イリノイ州シカゴ)
美術研究所 (イリノイ州シカゴ)
ノースウッド研究所 (ミシガン州ミッドランド)
南イリノイ大学 (イリノイ州カーボンデール)
エルジン大学院 (イリノイ州エルジン)
[ 家族構成 ]
父: イラストレーター/デザイナー スーパーマン
エスクヮイヤー・マガジン
ウォルトディズニー 等
母: ファッションイラストレーター
兄: 版画家
[ 収蔵されている美術館 ]
サルバドール・ダリ美術館、 ドクター・スコット美術館
[ 公式アーティスト ]
1990年―91年 ロサンゼルス・マラソン
1991年 トヨタ・グランプリ (ロングビーチ)
1991年 ロングビーチ・ジャズフェスティバル
1991年 第14回アトランタ・ジャズフェスティバル
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1996年 BMW アトランタオリンピック
ケンタッキー・ダービー
[ 作品依頼企業 ]
トヨタ (ロサンゼルス) 住友商事(東京)
ヒルトンホテル (全米各地) メリルリンチ
CBSテレビ コカコーラ
シェラトンホテル (全米各地) Coors
ビール
ペプシ KLMオランダ航空
ビバリーヒルズ・カントリークラブ マクドナルド
アメリカサッカー協会 他多数
[ 作品依頼有名人 ]
ヤンニ
スティング
エルトン・ジョン
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