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Mersad Berber

(メルサド・バーバー)

 

プロフィール

 

メルサド・バーバーは1940年1月1日、西ボスニアのボサンスキー・ペトロヴァッチという町に生まれた。1941年4月に第2次世界大戦が勃発し、バーバー一家は家財道具を一切捨てて、安全なバンジャ・ルーカへ逃れた。

 

注目すべきは、50年たった今、様々な文化と宗教の坩堝の中で、歴史は繰り返し、元ユーゴスラビアの内戦はバーバーの生活に再び甚大な被害を与えた。彼が愛した町サラエボにある自宅とアトリエの一部は破壊され、バーバーは家族とともに国連の救援機でクロアチアに脱出した。国土の戦闘の記憶は今なお彼と家族の脳裏を去らず、彼らを悩ましているが、それでもザグレブで生活と仕事の再建を始めた。

 

バーバーは1946年小学校に入学したが、1年生の時から絵の才能を発揮し先生の目に留まった。1950年中学に進んでからも、ずっと下絵や油彩を描きつづけた。本格的に美術の勉強を始めたのは、1959年スロベニア共和国リュブリアナのアカデミーオブ・ファイン・アーツに入学してからで、そこで学士課程と修士課程を修了した。

 

画家になってから今日に至るまでバーバーはずっと連続物を描きつづけてきた。若い頃の原体験が彼の作品の底流にあり、ボスニア&ヘルツェゴビナ、ビザンチン帝国とオットマン帝国、イタリア、スペイン、オランダ等の何世紀にも渡る歴史に思いを馳せ、それらにかかわる大事件や、賛辞や、忠誠や、献身を記録した。

 

バーバーが画家として成長した大きな要素は、彼の最初のモデルであるイタリアの19世紀最大の肖像画家フランシスコ・へイエズであった。バーバーは若い頃ヘイエズの肖像画に触発され、その後肖像画はバーバーの中心的テーマの一つとなった。ヘイエズから受けたインスピレーションは独創的絵画を想像する原動力となり、マンテーニャ、ミケランジェロ、ダヴィンチ、ベッリーニ、ラファエロ、ティントレット、カラヴァッジョ、ティエポロ、ピエロ・デラ・フランセスカ等イタリアの巨匠達、さらにはスペイン人画家のゴヤにも大きな影響を受けた。

 

スタイルや、気質、画派、伝統を融和させることがバーバーの作品の文化的、芸術的関心事である。というのもバーバーはヨーロッパの様々な伝統 それはその歴史と感情に訴える多文化、といった真正の特徴 の融和の達人であるからだ。

 

彼の普遍的なスタイルは直感的で、20世紀後半の流れに沿った、流行のスタイルに迎合する必要がなかった。それはバーバー自身、たぐい稀な才能と豊かな精神的、歴史的体験を持つ、独創性に富んだ個性的なアーチストを天職としているからだ。

 

彼の作品は国家、人種、歴史といった境界線を超越しており、我々はバーバーの中に円熟したヨーロッパ人を見出すことが出来る。

 

世紀末に向かっている今の時期に、21世紀の歴史家、芸術家、批評家によって20世紀美術界が産んだ巨匠の一人、と評される現代におけるグランド・マスターの作品を目にすることが出来るのは大変幸運なことである。



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